「座り流し」からLDKに思いをめぐらす|朝霞市・志木市・新座市・和光市の不動産・一戸建て・リフォームはマックホーム

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3月 27

「座り流し」からLDKに思いをめぐらす

To#です。

前回のブログ投稿では、江戸時代のニッチでは?と押板(おしいた)を紹介いたしましたが、今回はいにしえの流し台「座り流し」をお題にします。

川崎市立日本民家園に行ってきました。
訪問のお目当ては「北村家住宅(1687年)」。元は神奈川県秦野市にあった江戸時代初期の住宅を移築したものです。
解体時に建築年を示す墨書が発見された貴重な民家です。
17世紀、庶民の経済力が高まって本百姓と言われる有力農家は写真のような住宅に住んでいました。

川崎市立日本民家園 北村家住宅

「三間間取り(みつままどり)」のヒロマ(板の間)に面した北側に「座り流し」があります。
板の間に座って水仕事をしていたんですね。
ヒロマとは、囲炉裏がある生活の中心の板の間で、作業・食事・団欒・接待など何でも行なう空間。
その隅にかまどと「座り流し」があります。流しは木製で、右側にある瓶から水をすくい洗い物をしていたようです。
排水は外部に流されています。
縦桟の太い無双窓から明かりを取り入れています。
囲炉裏と座り流しはヒロマの必須アイテム。これらを軸に生活が営まれていたんですね。

座り流し

民家の間取りは、「三間間取り」から「四間間取り」そして「大型間取り」へと江戸時代初期から昭和初期までの間に、経済力拡大に伴い次第に部屋を用途毎に区切って使うようになり、そのため「座り流し」は、「立ち流し」に姿を変えてヒロマとは別の場所へ移されていきました。(下写真正面、神棚の下は「押し板」です。)

ヒロマ

昭和の経済成長期には、部屋を用途毎に区切って使うのが当たり前の間取りでしたが、近年は大きく広い何でもする部屋いわゆるLDK中心の間取りが主流になりました。
そうなったのにはいろいろ理由がありますが、LDK中心の暮らし方が古民家の間取りや暮らし方への原点回帰なのでは?と、私には思えてしまいます。

ですが、懐古趣味に陥らず、家族の暮らし方や住宅のあり方を考えていきたいと思っています。