阿弥陀堂二題|朝霞市・志木市・新座市・和光市の不動産・一戸建て・リフォームはマックホーム

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6月 12

阿弥陀堂二題

こんにちは、朝霞台のTo#です。

大型連休に絡めて東西国宝阿弥陀堂ふたつを観に行ってきました。
双方駆け足の訪問でしたが中世日本の建築様式の変節点を確認してきました。
写真は両方ともHDR撮影です。

白水阿弥陀堂(1160)福島県いわき市
平安時代末期、武士の勃興と勢力拡大により、武士対朝廷・貴族との権力争い絶えない乱れた社会になり、
暗殺・焼き討ち・武力による直接の戦いなど不安な社会情勢のなか、貴族たちはその不安な気持ちを慰めるため浄土信仰に傾倒してゆきました。
この建物は奥州藤原氏の血縁者が建立した福島県いわき市の阿弥陀堂。
広大な浄土式庭園に囲まれた、正に貴族の為の私的な阿弥陀堂です。
平安時代後期の建築技術で建設された建築物として国宝に指定されています。

白水阿弥陀堂

浄土寺浄土堂(1197)兵庫県小野市
白水阿弥陀堂が建立された20年後、平氏の反乱は極致に達し南都(奈良)は焼き討ちされ、世の中は大変乱れました。
この時消失した東大寺大仏殿を再建するために再建責任者として朝廷により僧重源(ちょうげん)が勧進職(かんじんしき)に抜擢、南都復興に社会秩序の建て直しの思いを込め貴族から庶民まで東大寺の再建に突き進んでいきました。
この阿弥陀堂は重源の再建に係わる幾多の事業の一つとして播磨別所に建立されたもの。
本尊は快慶作の阿弥陀三尊像で建物と共に国宝に指定されています。
重源は勧進活動の中で庶民のための信仰施設が必要との思いを強くし、この阿弥陀堂を建立したといわれています。
庶民の浄土信仰のための阿弥陀堂です。

浄土寺浄土堂

二つの阿弥陀堂は建立年が30年程しか相違していませんが、建築様式が全く違います。
白水阿弥陀堂は純粋な日本の木造建築技術の「和様建築」の秀作。
浄土寺浄土堂は大陸の影響を多大に受けた「大仏様建築」の貴重な現存建物。
現在で言えば、木造在来工法とツーバイフォー工法ほどの違いがあります。
また内部の造作も、天井がありわずかな光を取り入れて幽玄な阿弥陀世界を表出させた白水阿弥陀堂に対し、
屋根垂木をあらわしとし天井のない広々明るい空間を作りだしている浄土寺浄土堂。
「貴族のため」に対し「庶民のため」。
素木造(白木つくり塗装無し)対朱色に塗装された大陸風外観。等、正にこの30年間の間に建築のしかたや社会のあり方が替わったといえます。

共に国宝なので、内部の撮影が禁止されており、ブログで紹介することができません。
特に浄土寺浄土堂は仏寺建築の先入観がぶち壊されること請け合いの内部空間です。
もし機会あればぜひ立ち寄ってみてください。